ラクのブログ

社会の片隅で、小さく生きる。

安楽死について思うこと

僕はTwitterで、「#国は安楽死を認めてください」というハッシュタグを付けてツイートし、安楽死を導入してもらうために、ネット上でデモ活動をしている。

僕自身が、いつも死にたいと思っており、こんな気持ちを抱えながら生きていくのがつらい。なので、安楽死を導入してもらい、すぐに自殺したいと思っている。今はまだネット上でのデモ活動しかできていないが、いつかは他のフィールドでも、安楽死の導入に向けてのデモ活動などをしたいと考えている。

そんな僕のツイートを見ていた知り合いから、「安楽死についてのトークイベントをしませんか」という話をされた。僕のツイートに以前から興味があり、安楽死について気になっているので、僕と安楽死をテーマにしたトークイベントをしたいというのだ。

そのイベントが、いよいよ明日に迫ってきた。ここにフライヤーの画像を貼っておく。

4月22日㈪、MagaYuraというライブバーで、19:30からトークイベントを行う。店舗はJR野田駅の目の前(改札を出て左側)にある、じゃんぼ総本店の上にある。詳しい住所は「大阪市福島区吉野3丁目7-7富岡ビル3階」だ。もし興味があれば、来ていただきたい。

ここからは少しだけ、安楽死に対する今の心境を書こうと思う。

うつ病を発症して11年目になった。ずっと希死念慮との闘いだった。死にたい。でも、自殺に失敗して後遺症が残ったら、どうしよう。そう思うと自殺はできなかった。自殺を試みた時はあった。首を吊ろうとした。しかし、息が苦しくなると、両手が勝手に暴れてもがいて、結局未遂で終わった。

仕方ない。命がある限り、生きるしかないのか。それが僕の答えだった。

今日まで、いろんなことがあった。苦しかった。自分のことが、嫌いで仕方ない。早く消えたい。ずっとそう思ってきた。その気持ちは、今も変わらない。

ただ、こんな僕を、心配してくれる人たちがいた。

自分なんかのために。気にかけてくれることが、嬉しかった。

早く安楽死をしたい。その気持ちは変わらないが、こんな自分を心配してくれる人がいるなら、その人たちを大事にしたい。そのためには、まず自分を大切にしなきゃ。そんな風に思うこともある。

明日、何を話そうか。緊張している。

 

散歩にちょうどいい距離

今週のお題「外でしたいこと」

僕はインドア派の人間だ。お花見とは無縁の人生を送ってきた。

別にお花見が嫌いというわけではなく、内向的な人間の周りには、自然と内向的な人間が集まるらしく、彼らは「お花見しようぜ!」なんて言わないので、そんな人間とつるんでばかりいたら、自然とお花見は「架空の国の話」になっていった。

ただ、別にお花見が嫌いというわけではないので、「お花見しようぜ!」と言われたら、「やろうぜやろうぜ」となる。でも、肝心の「お花見しようぜ!」と言ってくれる奴はおらず、この先も会える気はあまりしない。僕が幹事になるような奴ではないということは、ここまで読んでくれたあなたなら、もうわかるだろう。

桜そのものは好きだ。純粋にきれいだと思う。桜並木って、本当にきれいだ。圧倒される。近所に非常に短い距離の桜並木があるので、そこを歩くことが、最近の楽しみだ。あまりにも距離が短いので、お花見できるスペースはない。しかも地面は雑草だらけで、きれいに管理されているわけではない。

だからお花見スポットではなく、近所の人たちの「まあまあ素敵な散歩コース」程度になっている。「みんな、そんなものだよなー」と思いながら、この「まあまあ素敵な散歩コース」を歩いていると、かなり雑草が生い茂っている地面の上に、レジャーシートを広げて、一人で桜を見ながらおにぎりを食べている人がいたので、強者だと思った。何もそこじゃなくても。どうしてもそこじゃなきゃだめなのか。

いくら僕が内向的な人間だとはいえ、ずっと部屋にこもっていたら、さすがにしんどくなる。だから近所を散歩する。しかし最近、それもなんだか億劫になってきて、家でダラダラしているうちに一日が終わってしまうことが増えた。

もうちょっとアクティブになった方がいいのだろうけど、それは明日からでいいか、と思っている。明日の今頃も、多分同じことを思っている。